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護良親王①
石船神社(都留市)
護良親王の首級を祀る。
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護良親王②
鎌倉宮(鎌倉市)
護良親王は東光寺(現在の鎌倉宮)に幽閉され
淵辺義博に殺害されましたが、
淵辺義博が首級を打ち捨ててしまったため
その後については様々な説があります。
南方社
村上社
expedition63
護良親王③
理智光寺跡(鎌倉市)
鎌倉宮の伝承では
東光寺近くの理智光寺住職によって葬られ、
南方が後醍醐天皇に報告に行ったとされています。
理智光寺跡にお墓があり、
宮内庁の管轄になっています。
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護良親王④
妙法寺(鎌倉市)
護良親王の息子の日叡が両親を
弔ったお墓があります。
護良親王
南方
日叡
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護良親王⑤
東慶寺(鎌倉市)
護良親王を弔うために出家した
妹の用堂尼のお墓、像、
護良親王の位牌があります。
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護良親王⑥
首洗井戸(横浜市)
首級を持ち出した説です。
「首洗いの井戸」で洗い清められ、
現在の王子神社本殿の場所に
埋葬されたとの伝承があります。
こちらの伝承では、
首級を運んだのはただの侍女であり
名前も伝わっていないそうです。
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護良親王⑦
王子神社(横浜市)
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護良親王⑧
雛鶴姫
光明寺(相模原市)
王子神社に埋めたと見せかけてさらに運んだ説。
体調を崩した雛鶴姫は光明寺に滞在し、
護良親王35日忌を行い
供養塔を建てたそうです。
この時点で首級は別行動の家臣が
富士吉田市の下浅間に隠しに行き、
雛鶴姫は遺骨を持っていたようです。
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護良親王⑨
千部塚(相模原市)
大塔宮三十三回忌に僧蓮明が法華経千部を修めた塚。
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護良親王⑩
雛鶴姫
雛鶴神社(上野原市)
相模原を出発した雛鶴姫は
この場所で出産。
「死産」「数年生きた」
「成長し南朝軍に参加の後に
再びこの地に戻った」等の
説があるようです。