expedition51

「長慶天皇御陵考」⑪



良仁親王の墓

「下一長子塚」または「都野太塚」
後に祠を建て「都野太(つのだ)明神」







近所の方に伺ったところ、
以前は祠があったそうです。





「都野太」→「角田」
ここは間違いないでしょう。


expedition52

「長慶天皇御陵考」⑫



硯水行宮

長慶天皇が院政を行った御所。
この本では「御祖代山の山奥」という記述と
写真だけなので、別資料を調べます。










「御祖代山の山奥なる桃澤の風泉池に
又、仙洞御所を建てて遷駐し奉る。
其地を帝来家座住(テラカサス)、
又は假座(カリクラ)と唱う。
河内の飯盛山に縁みて、或は飯盛平とも言う。」

実際の小字名に「狩暮」「飯盛」がありました。





写真の場所は特定できませんでした。
(なにしろ100年近く前の写真です)
この辺りだと思うのですが・・・。





もし、ここだったとしたら
御所から長慶天皇が見ていた景色は
こんな感じです。





expedition53

三皇子塚



石碑ひとつと石像六体が並んでおり、
石像の背面には文字(?)が刻まれています。







大山守皇子





隼別皇子





根鳥皇子





佐田彦





羽田八代宿禰





三浦義顕





富士義勝






この地図を見ると、現在は
「三皇子塚」「羽田八代宿禰塚」
「馬頭王(佐田彦)塚」「義士一二塚」を
まとめてあるみたいです。
「義士一二塚」の残り10体も
石像があったのでしょうか?






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福地八幡旧社









不二山水神旧跡







福地八幡社








expedition55

松若王



護良親王のひ孫で、出家して正福法師。





地図の場所にあるのが「正福寺」です。
そのままの名前ですし
「今回は楽勝!」のはずが、
お寺の方に聞いたところ
「この名前は見たことがない」とのこと。w
墓地が広く、古いお墓も多かったので
特定は難しそうです。






expedition56

梅若王



護良親王のひ孫で、
内野浅間神社の宮司。

渡辺長義氏によると、
神社近く(上天寺旧墓地)の
この宝篋印塔がお墓だそうです。








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内野浅間神社

ここも非常に雰囲気のいい神社です。

公式の由緒が
「尹良親王が南朝の四皇を奉祀して
四皇三社浅間大神と称し奉る」
「梅若王神主となる」
「足利氏に憚り富士浅間神社と称す」
というゴリゴリ(?)の南朝神社でした。w







場所は移動している?






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新屋山神社









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新屋山神社奥宮









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新倉浅間神社



春!









秋!











「福地山」「宇宙峯」「高天原」
いいねー。
















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