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「長慶天皇御陵考」①



昭和4年刊の私家本。
研究家の
柏木豊明氏が発行人となっています。

「柏木氏の残した多くの資料が
学習院大学の協力で整理され、
公的な機関で管理されているが非公開」らしいです。

この本には4枚の写真が掲載されていますが、
4枚だけなのが非常に残念。
もっとあるんだろうな~。
見たいな~。




で、登場人物の関係を図にしてみました。
各陵墓についての解説がされています。




長慶天皇陵は紹介済みなので写真だけ。
この時代は柵があったようです。





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「長慶天皇御陵考」②



玉子内親王の墓

「南都留郡福地村字新屋小倉山麓
丸山観音堂の旧趾に在」

長慶天皇の娘。
出家し諸国を巡り、
富士谷に戻って観音堂を建てたそうです。
「皇考皇妣の像を刻し観世音と称し・・・」
とあります。





小倉山の近くに観音堂がありました。
部分を丸山と言うようです。
本尊は「正観世音菩薩」。
道路を挟んだ向かい側が墓地で、
もともと観音堂は墓地側にあったそうです。
「旧趾に在」とも話が合います。







どれかが玉子内親王の墓?





両親の像を作ったのなら
観音像は2体ありそうですが、1体でした。





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「長慶天皇御陵考」③


説成親王の墓

「南都留郡谷村町の西
勝山城趾八幡社の旧趾に在」

後村上天皇第四皇子。
「勝山城の峰に葬る
後祠を建て正八幡大神と曰ふ」

現在の勝山八幡神社は移動していますが、
山頂にあったようです。
地図の位置関係から言うと
この辺りでしょうか?






ここか、





一段下がった先端部。
















勝山八幡神社

勝山山頂→八窪山山頂→現在地と
移動したようです。





八窪山山頂の旧社。






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「長慶天皇御陵考」④


山口皇子の墓

「一長子塚」または「山口塚」
後に祠を建て「一長子(はつちょうじ)明神」
長慶天皇の息子で早世されたようです。

撮影許可をいただきました。
場所としてはここ(のハズ)ですが、
祠も台も違います。
ご主人曰く
「(南朝の皇子とか)そんないいモンじゃないよ?」
とのこと。
自信ありません。w







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「長慶天皇御陵考」⑤


皇妃小野局の墓

「南都留郡東桂村夏狩長慶寺に在」

長慶天皇の側室。
「上皇崩御の後尼となり」
「永享10年(1438年)に寂す」
「長慶寺の南の岡に葬る」

長慶庵(臨済宗に改宗し長慶禅寺)の
創建は寛正3年(1462年)だそうです。
「お墓の場所が、
後にできたお寺の南側」と
思っていましたが、
別資料に「長慶寺に於いて寂す」とありました。

無視します。w






長慶禅寺は1度移動しており、
元の場所にはお墓が残っています。





南ですが平地です。
「岡」というと八面神社の辺りでしょうか?





この神社は後醍醐天皇の時代には存在したようです。
僧侶をあえて神社に葬るかは分かりませんが、
仏像らしきものはありました。






ちなみに現在の長慶禅寺も墓地は南側で、
少し高い場所です。
もともと年代が矛盾しているので、
こちらの可能性もなくはない?w













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「長慶天皇御陵考」⑥


梅宮内親王の墓

「南都留郡瑞穂村字下吉田
西方寺旧趾の南上島に在
(今其處を詳にせず)」

長慶天皇の娘。
西方寺は今までに3回移動していますが、
現在地を合わせた4ヶ所とも小明見だそうです。
この地図では現在の大明見と
下吉田東の境目くらい?
別のお寺でしょうか?
旧趾の南の「上島」なのか「南上島」なのか、
小字名にも見つけられませんでした。
筆者も「詳らかにせず」と
イヤラシイです。










西方寺旧跡(ニッタサマ)



















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「長慶天皇御陵考」⑦



妃初音の墓

「南都留郡福地村新屋小倉山の麓に在」

麓というざっくり過ぎる解説のため、
ざっくり過ぎる調査しかできません。w





とりあえず一番近くはこの稲荷神社みたいです。
一応、行ってみました。w
正解の可能性は限りなく低いので、
参考程度でお願いします。







他にも祠がいくつかありました。


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「長慶天皇御陵考」⑧



惟成親王の墓

後村上天皇第三皇子。
「南都留郡福地村上吉田諏訪明神下に在
今其處詳ならず」

これもざっくり解説です。
筆者も「詳らかならず」なので仕方ありません。

「密かに諏訪明神の下の森林中に葬る」

北口本宮冨士浅間神社の境内だけでなく、
この辺り一帯が「諏訪の森」だったようです。
範囲が広がり、余計に難しいです。

・北口浅間神社には摂社、末社が
たくさんあり過ぎて分かりません。
・近くの諏訪内山神社にも
祠がいくつかありました。
・諏訪の森自然公園には
祠、石碑等は見つけられませんでした。

結局、全く分からないので
後は妄想です。w

「密かに」なので目立つようには
していないかもしれません。
北口浅間神社には
盛土かな?と思える(無理矢理な妄想)場所も
あったりします。





正解の可能性はほぼないので、
参考にもなりませんね。w



諏訪神社旧跡とされる「御鞍石」







御鞍石や左側の石が陵墓だったり・・・、
しませんかね?。
再び妄想です。






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「長慶天皇御陵考」⑨



尹良親王の墓

「南都留郡明見村字宇津峯高座山の上に在
小祠あり御中堂と曰ふ」

苦しい投稿が続きます。





地図では高座神社の西です。
そこにあるのが「子持岩」で
安産祈願をするそうです。





祠はありませんが、
他に史跡はない感じです。
昔は祠があったのでしょうか?


神社の南側にもうひとつ。
神社でも何か分からなくなっているそうです。
祠があったように見えますが、残念ながら南です。






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「長慶天皇御陵考」⑩



國成王の墓

「南都留郡谷村町圓悟院の裏山に在
(説成親王妃政野の墓も同處に在)」

「剃髪して圓悟と曰ふ」
「圓悟院を創建す」
40歳で亡くなり圓悟院の裏山に葬られる。
その2ヶ月後に58歳で亡くなった母親も
國成王の墓に合葬。


まずこの辺りに圓悟院というお寺は
現存しません。
廃寺の名前もいくつか見ましたが、
(見た中には)無かったです。

ただ旧谷村町内に「円通院」ならありました。
しかも山を背にしており、墓地になっているようです。

毎度のことながら年代等は矛盾しますが、
行ってみました。










帰宅後に気付いたのですが、
よく見たら國成王の諡が
「圓通院殿(?)義玄太光大禅師」でした。
圓通院だし!




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