expedition131

米山親王⑪



上野寺

「三國山上野寺の住は、長壽禪師にして、
羽田六郎左衛門時能の嫡男
太郎左衛門治國の僧名なり。」





この辺りにお寺は2ヶ所あります。(A、B)
廃寺も見つけました。(C)
3ヶ所とも道志村ですが、
もう少し南で山中湖村内のような気がします。





「三国山」や「上野」は南に行きすぎだし・・・。





調査継続します。



expedition132

米山親王⑫



佐野寺

「兩道山佐野寺の住は、寶花禪師にして、
三浦義勝の弟、源左衛門義正嫡孫
孫左衛門義忠の僧名なり。」

現存せず、地図に記載もありません。

引き続き調査します。



expedition133

米山親王⑬



上天堂

「宇宙山上天堂の住は、良山禪師にして、
鈴木越後守正茂嫡男正忠の僧名なり。」





忍野の承天寺。
公式サイトに
「創建当時は長寿山上天寺として・・・」とあり、
現在の「承天」も「じょうてん」と読みます。







expedition134

米山親王⑭



圓通院

「船津山圓通院の住は、正弼禪師にして、
井出彈正少弼正房の僧名なり。」





分かりやすくてありがたいです。w







expedition135

米山親王⑮



六地蔵堂

「三坂峠の六地藏堂の住は、善野禪師にして、
武内長九郎定宗の四男
下方四郎の僧名なり。」





expedition102で紹介した六地蔵です。
現在は石碑のみ。
お寺があったかは調査中です。



expedition136

米山親王⑯



大石寺

「御古山大石寺の住は、忠覺禪師にして、
大石藏人義忠の僧名なり。」





海蔵寺。
村内にお寺は1ヶ所で、
村中が檀家だそうです。





expedition137

米山親王⑰



東光寺

「西濱山東光寺の住は、照蓮禪師にして、
長濱民部大輔顯寬の嫡孫、
顯忠の僧名なり」





expedition101で紹介済みです。



expedition138

米山親王⑱



瀧本寺

「大塚山瀧本寺の住は、長慶禪師にして、
小林次郎國親の五男
和泉守安親の僧名なり」





この辺りにはお寺が4ヶ所。
瀧本寺はありません。

米山親王は1482年に亡くなったようです。
自得院と光彩院は創建がこれより後。
永寿院は禅宗への改宗がこれより後。
消去法では残った棲月院になります。
どうでしょう?







耕雲院が南朝関係のお寺のようで、
一度移動しているそうです。
しかし現在地よりも西側からの移動で、
瀧本寺とは違うかな・・・。





expedition139

米山親王⑲



地藏堂

「天家坂の地藏堂の住は、義安禪師にして、
小山下野介義政の嫡孫、又七郎義廣の僧名なり。」


「天家坂」





「天屋坂峠」



*南が上



この地蔵堂でしょうか?
こちらでは「堂屋峠」と記載されています。





萬藏寺との位置関係からすると、この阿弥陀堂?





堂尾山公園付近が堂屋峠だとすると、
位置が違いすぎる気もします。





天屋坂峠は明見湖寄りですが、
堂屋峠は少し離れるイメージ。

「堂屋峠(堂尾山)」と「天家坂、天屋坂峠」は
同じ場所?違う?
もう少しハッキリさせないと、
決定はできないですね。
調べます。お待ちください。



阿弥陀堂





阿弥陀堂のすぐ裏に稲荷神社を発見。
羽田(秦)さん→稲荷は分かりますが、
なぜかブロックで囲われてました。
なんか封印みたいで怖くないですか?
何でだろ?
これはこれで調査中。





追加です。

現在の地図と古地図の
位置関係合わないので、
歪めて無理矢理重ねてみました。





この辺りになるでしょうか?
小字名「堂谷山」。





「七図」に続く空白部分は
小字名「堂屋山」。
地図には「堂尾山」と記載されていますが、
「尾」の横に手書きで「屋」。
この地図の目次でも「堂屋山」となっています。





どちらが正解か分かりません。
「堂屋山」「堂谷山」は地名で、
堂尾山公園の「堂尾山」は山の名前って
ことでしょうか?



expedition140

米山親王⑳



和泉寺

「泉仙山和泉寺の住は、寶良禪師にして、
大澤七郎淸治の僧名なり。」





expedition91で考察しております。




<            >







BACK


Copyright(C) "CHEESE" All Right Reserved