expedition91
白滝女王陵
興良親王の娘で、親王と共に自害。
「泉仙山の和泉寺に葬りぬ」
「仙泉山」は現在の「三ツ峠」。
(お寺は「泉仙山」でややこしいw)
「正福庵」が「福昌寺」、
「和泉寺」は「清真庵観音堂」?
この地図でも正確な場所は
分かりにくい感じです。
手描き地図の
川との位置関係だとこの辺り?
この位置に石仏がありました。
「以前は屋根があり、清真庵が管理していた」
と考えれば観音堂はここになります。
和泉寺の位置からは少しズレるため、
妄想します!w
「和泉寺が廃寺となった際に
石仏をまとめて道沿いの現在地に移し、
観音堂として清真庵が管理」
どうでしょう!!w
さらに妄想すると・・・。
白滝女王陵だけは
父親の墓地に移した可能性は
ないでしょうか?
興良親王陵(expedition80)には
祠がふたつあるため、
強引に結びつけてみました。w
付近に白滝女王と名前が
似ている白糸の滝があり、
「白糸」→「絹」で
蚕を祀る祠があるそうです。
行ってみました。
expedition92
護興王陵 竹若王陵
興良親王の息子と孫。
「護興王、富士桂谷の泉澤に於いて薨ぜらる。」
「此御所を泉澤の宮、又は前の宮(せんのみや)といふ。」
「前の宮の脇に葬る」
この地図では
遠山城と滝口城の間です。
城といっても広義の城で、
この場合は屋敷だと思います。
付近を検索。
遠山さん
日蓮が宿泊したとのことで
史跡になっていました。
滝口さん
この辺りに多い名前のようで、
滝口神社を発見。
その間に浅間神社。
調べたところ、
「センノミヤ」と呼ばれているそうでビックリ!
現在の地図での位置関係です。
以下、現地調査。
遠山さん
滝口さん
上暮地浅間神社
「前の宮の脇に葬る」
祠の屋根部分。
こんな状態で残念ですが、
正解でいいですか?w
せんのみや各種
expedition93
福善寺
「かつては大明見の阿曾谷にあり
行満寺と称していたが、
三浦寺、福仙寺と名を変え
460年ほど前に現在地(西桂町)に
移ったと伝承されている。」
expedition94
慈光院
大明見の臨済宗のお寺です。
もともとは上吉田にあったようです。
かつて大明見小室浅間神社境内にあった
お寺から移した仏像。
硯見不動尊の像と対になっているそうです。
expedition95
硯水不動尊
鳥居があるので神社かと思ってましたが、
不動尊は仏教ですよね?
expedition96
月江寺
expedition97
玉川の宮
「富士勝山谷東澤深山に仙洞を造営して、
院を遷駐し奉る」
「旧宮に縁みて玉川の宮と称し
其地を宮原と唱ふ」
長慶天皇はここと風泉池の宮を
行き来したそうです。
現在の地図だとここになります。
専徳寺の西側から小学校にかけて
「宮原遺跡」だそうです。
「遺跡周辺からは
縄文時代前期~後期までの
土器片が確認されており、
発掘調査では弥生時代中期の
土器や石器がまとまって出土した」
その時代から人が住んでいた場所です。
御所もこの辺りかと。
expedition98
元良親王陵
長慶天皇の息子。
(称川上大和守秀信)
この地図では勝山城近くに
鈴木城があり、その西側。
「鈴木原」という地名。
鈴木重政は
尹良親王と息子の良王君に
仕えた人物です。
現在の地図を見ると、地名は「厚原」で、
熊野神社があります。
「原」しか合っていません。w
検索すると「都留市地名考」という記事を発見。
それによると・・・、
「厚原(あつはら)は、もともと薄原(すすきはら)。」
「紀伊熊野の鈴木氏は熊野信仰の
全国的な普及に努めており、
都留郡守護が信者だった。」
「薄(すすき)=鈴木ではないか?」
とのこと。
さらに当時の宮司は「川上山城守」で、
元良親王と同じ「川上」。
ありがとうございます。決定です。
現地調査!
祠がありました。
いい感じの佇まい!w
expedition99
尊雅王陵
良仁(米山)親王の息子で、川棚宮。
場所としては、
説成親王陵を探した時にお参りした
勝山八幡神社だと思われます。
この辺り、他にない感じです。
前回は気付きませんでしたが、
祠か何かあるのかもしれません。
ありました!
・・・が、ちょっとヒドイ状態です。
2つあるってことは
説成親王と尊雅王?
(あくまで妄想です。w)
追加です。
「正観寺跡地」
手描き地図の位置としては
こちらの方が近い気もします。
expedition100
神玉&神紐