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護良親王⑪

雛鶴姫




雛鶴峠(上野原市、都留市)

雛鶴姫は人里を目指し、
現在の雛鶴峠を越えます。







ご当地ソング






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護良親王⑫

雛鶴姫




雛鶴神社(都留市)

この場所で亡くなられ、
お墓が建てられました。









供の松






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護良親王⑬

雛鶴姫




大ぞうり橋(大月市)

大月市にも雛鶴姫の伝承が残ります。
大ぞうり橋はこの辺りにあったそうです。





雛鶴姫の子供を葬った宝篋印塔。






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護良親王⑭




大塔宮護良親王桂之古跡(富士吉田市)

雛鶴姫の家臣が
神木の桂の木の根元に首級を葬ったとされます。

首級は、さらにここから髙根山に移動。
髙根山の山頂にあった石船神社が
現在地に移った際に御神体となったようです。










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護良親王⑮




智方神社(清水町)

静岡県駿東郡の首級を葬ったとされる神社です。









首級を葬った場所の目印に植えた楠。










写真が全部逆光ですね。
撮り直したい。w




その他、
そもそも殺されていなかった説。
この場合、護良親王は淵辺義博の領地から
宮城県石巻市に行きます。
その地で亡くなり、
一皇子神社に祀られています。



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護良親王⑯




立川流





護良親王の首級に関する某FBへの私の投稿に、
某M誌編集長のM氏よりコメントをいただきました。
(ありがとうございます)

”真言立川流の秘儀に使われた可能性もあるとか”

立川流(性儀式を行う教団)は知っていましたが、
首級との関わりは知りませんでした。

調べたところ、その儀式には
人間の頭蓋骨に男女の性交時の体液を
塗り込んで作った「髑髏本尊」を使用するらしく、
高貴な人間の頭蓋骨ほど効果が高いと
されているそうです。

「髑髏本尊は金箔・銀箔をのせ
漆で復元する」
護良親王の首級と同じ。

「その本尊を持ち歩いて儀式を行う」
首級の摩滅や剥落の仕方が年に1度の
ご開帳の時だけに取り出されていたとするには不自然。
右の義眼も無くなっている。
(持ち歩いていた時期がある可能性)

「首級の復元加工が剥がれた部分に
密教の種子らしい文字が見える」

これらの事から
「立川流の儀式に使われた」説があるようです。




さらに後醍醐天皇の側近の文観(もんかん)が
立川流中興の祖と言われているそうです。
「え?息子の首を性儀式に使っている
教団のトップを側近に?
後醍醐天皇ってそーゆー感じwなの?」と
驚きました。

最近の研究では
・本来の立川流(真言宗の一派)
・いわゆる立川流(性儀式を行う)
・文観派
を、それぞれ別の団体としています。
詳細は省きますが
この3団体が混同された原因となる書物があり、
北朝側仏教界から南朝への
攻撃だったようです。
(わざと混同させる書き方をして悪いイメージを付けた)

とりあえず
文観はいわゆる立川流ではないので
「後醍醐天皇はそーゆー感じではない」
ってことが分かりました。w



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古戦場跡①




護良親王の処刑命令を出した
足利直義(尊氏の弟)ですが、
尊氏と揉めて南朝側に行ったり、
和解して復職したり、
また揉めたりとややこしいです。

私の地元には
直義が戦った古戦場跡が2ヶ所あります。



手越河原
vs 南朝

淵辺義博はここで戦死しています。








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古戦場跡②




薩埵(さった)峠
vs 尊氏










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展覧会




ちょうど開催されていた
こちらを見学。






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興良親王陵




この地図では、小室浅間神社旧社の東側に
興良親王(護良親王の息子)のお墓があります。




資料によると祠です。
祠はあるのですが2つなので、
別地図の夫婦塚のような気もします。





「夫婦」=「興良夫妻」なのかは調べます。
お待ちください。

















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